黒土、黒ボク土、沖積土は地球上の限られた土地にしか存在しません。
23,000年前の最終氷期より、あたたかな地球環境は、人類に大きな恵みをもたらしました。一年生ケイ酸植物の繁茂する大草原では、大型動物や捕食動物など多様な生命が闊歩していたと思われますが、ウクライナなどの北緯にあるチェルノーゼムと呼ばれる地帯では、草食動物の食事としての草木は、木本植物の発生を抑制し、見渡す限りの大草原を形成したと思われます。
食べ残された茎葉は、早い冬の訪れと主に、降雪により倒伏し、冬季の雪の下でゆっくりと分解し、雪解けの春には、じゅくじゅくした腐敗草原が広がっていたでしょう。
日照時間の長い春の草原では、腐敗した草原に容赦なく日光が降り注がれ、その嫌気的環境で光合成細菌が繁殖したと思われます。
倒伏した草原の茎葉は、ゆっくりと分解し少しずつ堆積してきましたが、そこに必ず、草食動物の糞尿、遺体、肉食動物の糞尿、遺体、鳥類の糞尿、遺体、昆虫による拡散(フンコロガシ)、ミミズ等土壌小動物による土中への引き込み、微生物分解が絶え間なく行われ、有機物の静かな分解と蓄積が堆積していきました。
それは、植物残差である、セルロース、ヘミセルロース、リグニンで構成され、いわゆる繊維質の倒伏が起こっています。黄金色のリグニンの積み重ねは、炭素有機物であります。
糞尿の内、液体の土壌に浸透又は、茎葉に均一に散布されるのは、尿であり、化学的には尿素が散布されることとなりますが、これは窒素であります。
大型草食動物、とくに反芻胃を持つ、セルロース分解酵素の胃で発酵された糞が無作為に落下し、時には、フンコロガシなどが勤勉に散布し、土中に埋設なども行なったことでしょう。
上記の有機物の循環に最も重要なのは、窒素、リン、カリウムなどの、化学肥料に相当する成分が含有していることです。
自分が学習した土壌学の書物において、化学肥料に相当する肥料成分が、植物残差から提供されている化学論旨は無かったように思われますが、鶏糞と牛糞を材料としているまぜた君の20年来の成分には、窒素以外の化学肥料相当の成分、とりわけリン酸とカリウムが4%以上含有しており、植物残差から作られた黒土の成分には、必ず窒素も含むリン酸、カリウム成分が含有していると思われます。
化学肥料は130年
人類の歴史において、一万年の歴史のある農耕文明において、肥料の記述がなされていたかは、自分では探求していませんが、少なくとも日本の最古の農書、農業全書、会津農書において、人糞尿、馬糞、牛糞、塵芥などのすべての有機物を肥料として利用している記述がありますが、イギリスでは、三圃式農業を400年前程度に行っており、豆、麦、蕪の循環栽培において、マメ科窒素固定の肥料を利用しており、施肥の概念は400年以上前には、無かったように思われます。
動物の角、骨を利用した骨粉の利用からのイギリスでの過リン酸石灰の生産利用は1840年頃で、ドイツにおけるハーバーの石灰窒素の発明と生産は1910年頃であり、それ以前の欧米では、窒素質グアノによるグアノ島法の制定は1856年のようです。
北部メソポタニアの文明における肥料について、研究を行っておりませんが、黒土の大地における文明の肥料概念または施肥概念は昨今の書物には無いようですが、土壌学的に有名な記述では、メソポタミアでは都市上流の山地で畜産を行い、その糞尿が河川から平地に堆積し、堤防を築くことで氾濫を抑制することがかえって平地農地の富栄養化を招来し、塩基過剰の不毛の大地になったとされています。
同様の時期のナイル文明。エジプトでは、雨期の氾濫を堤防を設けることなく、平地に氾濫させることを故意に行い、高地にバカンス的に避難することで平地の農地を適度に肥沃にし、エジプトの繁栄を確実にしました。
約束の地カナンは、不毛になったメソポタミアの人民が、エジプトの奴隷となり、400年後に再びその台地に戻ることの神話で、塩基過剰害が、400年で流亡することの期待からの神話と思われますが、そこには別な人々が定住していたことが、中東の悲劇の始まりでした。
話がそれましたが、化学肥料は我が国では僅か80年、糞尿農業は400年以上の歴史がありすが、黒土、黒ボク土、沖積土には、動植物残渣の肥料成分が人類の関わりなく蓄積することで、北メソポタニア、縄文人、アイヌ人、ネーティブアメリカン、オージーなどの先住民の賢い人(ホモサピエンス)が大草原に繁茂する採集していた食料を播種したことに始まり、その為の草原維持の必要性を知ることで、数千年以上の豊かな人類を形成していたようです。
書物に記載されている人類の歴史は、豊かな黒土や大河の沖積土の文明を不毛な大地の野蛮人が略奪した歴史であり、特にキリストの名のもとの十字軍やスペイン、イギリス、ドイツの所業は恐ろしいものです。
その国家の大地は、黒土は無く、沖積土もわずかなようで、イギリス、ドイツは現在も野菜のほとんどは輸入に頼っています。
化学肥料の農業は、イギリスの過リン酸石灰、ドイツの石灰窒素からのアンモニアにより形成され、現在のリービッヒ以降の化学肥料的な肥料学の権威はイギリスロザムステット研究所(過リン酸石灰の特許取得で作られた)の160年以上の研究によります。
昭和からの日本の肥料学、土壌学もすべてこのイギリスの学問をベースとしており、そこにアメリカの農薬産業のシステムが絡み合い、酸性土壌には到底不向きな硫安の使用をいまだに進める全農の体制に反映されており、畑のカルシウム(硫酸カルシウム)を推進することも農薬の使用量を増やすための方策です。